今回は、弥生の「ならわし」について綴っていきたいと思います。
ことごと綴りと同時にブログを更新している「ならわし料理」が3月3日の「上巳(じょうし)の節句(桃の節句)」のレシピのご紹介なので、いつもより少し早めにブログを更新しますね。
先人たちから受け継がれ続けてきた日本のならわしについて想いを巡らせて、これからも暮らしの中にゆったりと無理なく、丁寧に受け継いでいくことができたら嬉しいです。
【弥生(やよい)】
「草木弥や生ひ茂る月(くさきいやおいしげるつき)」からきているといわれています。
「弥」は、「いよいよ」「ますます」を意味し、「生」は「草木が生い茂る」さまを表しています。
寒さが厳しかった冬が終わり、草木が芽吹く春の訪れを表していますね。
他に「花見月(はなみづき)」「花月(かづき)」「桜月(さくらづき)」、旧暦の3月は竹が黄ばんで落葉することから「竹の秋(たけのあき)」「竹秋(ちくしゅう)」などとも呼ばれます。
“ああ、春がきたなぁ!”と感じる日が来たかと思うと、凍える様な寒さの日になったり、この時期は寒い日が続いた後に暖かい日が続くというサイクルを繰り返しながら、徐々に気温が高くなっていきます。これを「三寒四温(さんかんしおん)」といい、春に向けて一歩ずつ近づいていく季節です。
3月は風の強い日が多く、春の風が冬の空気を吹き飛ばそうとしているみたいですよね。
そんな気候の変化に木の芽が少しずつ膨らみ、花の色が色付き始め、鳥や虫たちも活動的に。
まさに、“動き出す季節”の始まりです!
■3/1~14日頃
【修二会(しゅにえ)】
旧2月1日からお寺で行われていた法会(ほうえ)のことで、一般的には3月1日から2週間の間に行われます。
最も有名なのは奈良県の東大寺二月堂の「お水取り」です。
旧暦の2月に行われていたことから、「二月に修する法会」という意味で名付けられましたが、正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい、人々が日々犯している多くの過ちを、十一面観音菩薩の宝前で懺悔して、国家の繁栄と五穀豊穣、人々の豊楽を祈るものです。
観音様にお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる「お水取り」や、修二会を行う行者・練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりである松明に火を灯す儀式などが行われます。
【若狭お水送り(わかさおみずおくり)3月2日】
福井県小浜市の神宮寺において行われます。
巨大な松明を振り回し、大護摩(おおごま)を焚き、白装束に身を包んだ僧侶が送水文を読み上げて「お香水」の邪気払いをします。
その「お香水」を遠敷川(おにゅうがわ)に流すと、お香水は10日後に東大寺の若狭井(わかさい)にという井戸から湧き出るとされていて、お水取りで汲み上げられ、観音様に供えられます。
東大寺の修二会に遅れた若狭の神様が、お詫びに若狭の清水を送ると約束したという伝承に由来しているそうです。
【お水取り 3月12日】
東大寺修二会の別名でもあります。
観音様にお供えする「お香水」を、若狭井からくみ上げる儀式のことです。
修二会の期間中、二月堂の廻廊で直径1メートルほどの大きな松明を僧侶の補佐役である「童子」が引き回す「お松明」が毎晩行われます。
松明の材料である杉の葉の燃え残りをお守りとして持ち帰る方もいるそうです。
そして、3月12日の深夜に、大きな松明の明かりに灯されながら練行衆によってお水取りが執り行われます。
火の粉を浴びると災厄が祓われるといわれ、多くの参拝者で賑わいます。
■3/3日
【上巳(じょうし)の節句(桃の節句)】
(※詳しくは「ならわし料理」ブログをご覧ください。)
■3月5日
【啓蟄(けいちつ)~二十四節気】
(※「啓蟄」について詳しくはこちら)
■3月21日
【春分(しゅんぶん)~二十四節気】
(※「春分」について詳しくはこちら)
■3月21日 (春分に最も近い戊の日)
【社日(しゃにち)】
社日は、春分に最も近い戊(つちのえ)の日である春の社日と、秋分に最も近い戊の日である秋の社日と、年に2回ある行事です。
「社」は土地の守護神である産土神(うぶすなかみ)をあらわしています。
生まれた土地の守護神を祀る日で、産土神に、春は五穀豊穣を祈り、秋は収穫の感謝を捧げます。
戊には、「土」という意味があるため「戊の日」に行われるようになりました。
多くの地域では社日には農業を休み、土いじりをしないようにします。
土地ごとの神様を祀る行事のため、餅をつく、収穫した稲を供える、真砂を体にふりかけて清めるなど、その様式は様々なのだそうです。
■3月18日~24日(春分を中日とする7日間)
【春のお彼岸】
3月の春分の日と9月の秋分の日を中日とする前後3日、合わせて7日間、またはこの時期に行う法要のことを「彼岸(ひがん)」といいます。
彼岸中は、仏壇を清め、お墓参りをする風習があり、全国の「彼岸会(ひがんえ)」という法会(ほうえ)を営みます。
仏教が根付いている国の中でも、こういったならわしがあるのは日本だけだそうです。そして、なぜ日本で彼岸にお墓参りをするようになったのかは、はっきりとわかっていないのだそうです。
「彼岸」とは、仏教の言葉で“迷いのない悟りの境地のこと”。
仏教用語では、三途の川を挟んだ向こう側(霊が住むあの世)を「彼岸」、こちら側を「此岸(しがん)」といい、彼岸は西、此岸は東にあるとされてきました。
春分と秋分の日は太陽が真東から昇り、真西に沈む日です。
西に極楽浄土があると信じていた先人たちは、彼岸と此岸が通じやすくなると考えて、沈んでいく太陽に故人との交わりを託してきたのかもしれませんね。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、冬の寒さがやわらぎ、過ごしやすい季節が巡ってきます。
故人に思いを馳せるだけでなく、季節の移り変わりを教えてくれる目安としても、彼岸は暮らしに根付いているのでしょう。
春のお彼岸にお供えするのは「ぼた餅」。
牡丹の季節なのでそう呼ばれるという(秋のお彼岸は萩の季節なので「おはぎ)」と呼ばれる)説もありますが、地方や時代によって呼び方が異なるようです。
小豆の赤色は、災いから身を守る魔除けの効果があるといわれています。
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